Fishes of Kii Peninsula

紀伊半島のさかな

ご挨拶と紀伊半島の魚類について

当ブログで取り扱う“紀伊半島”について

紀伊半島は日本最大の半島であり、和歌山県の全域と三重県奈良県の一部が含まれます。通常、半島と言えば陸地のうち海に突き出した部分を指しますが、この解釈をそのまま適用すると大阪府や愛知県の一部も紀伊半島に含まれることになります。しかしこれらの地域には広大な平野が広がり、半島としての特徴に乏しいことから紀伊半島には含めず、紀伊半島と言えば和歌山県紀の川三重県櫛田川を結んだ中央構造線より南側の地域を指すことが一般的です。当ブログにおいてもこれに従い、この地域を紀伊半島と呼称します。

紀伊半島黒潮の影響を強く受けるため、本州でも特に温暖な地域であり、特に串本をはじめとする紀南地方の沿岸はサンゴ礁ではありませんが、造礁サンゴが豊富にみられる亜熱帯性の海域となっています。一方で半島のほぼ中央に位置する大峰山脈を中心とした亜高山帯に含まれる地域は冷涼であり、こうした標高の高い地域ではトウヒやコメツガ、ブナといった北方系の樹林が発達します。またそれ以外にも全体に山地が多く、半島北部の和歌山平野および伊勢平野を除くとほとんど平地が存在せず、特に南部では海岸線のすぐ近くまで山地が迫ります。こうした山がちな地形は生物の種分化にも影響を及ぼし、山地による地理的隔離により、動物ではオオダイガハラサンショウウオや、ナンキセダカコブヤハズカミキリ、植物ではクマノザクラや、キイジョウロウホトトギスといった本地域に固有の生き物が進化したと考えられています。また山がちな地形は人間による開発も阻み、結果として手付かずの自然が多く残されることになりました

これらの①バラエティに富んだ環境を有する。②固有種、固有の地理的集団が多い。③自然度の高い環境が現存しているという理由により紀伊半島は日本でも屈指の生物多様性が高い地域のひとつとなっています。

紀伊半島の淡水魚類相について

紀伊半島生物多様性の高さは魚類についても当てはまり、この地域には多種多様な魚たちが生息しています。特に淡水魚については山地や海峡といった地理的隔離の影響で種分化が起こりやすく、また紀伊半島には広い地域が含まれることから、紀伊半島の内部でも淡水魚の分布パターンに違いがみられます。

紀伊半島の淡水魚類相はその分布パターンからは大まかに次の4つの地域に分けて考えることができると考えられます。それは①半島北東部の三重県櫛田川以南の伊勢平野から志摩半島までの地域。次に②半島北西部の和歌山県紀の川から有田川流域に至る地域。③半島中央部の地域。最後に④半島中部から南部の沿岸地域です。

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紀伊半島における淡水魚の大まかな分布様式。もちろん分布が重複する地域も存在する。

①の半島北東部の櫛田川以南の伊勢平野から志摩半島までの地域は紀伊半島では珍しく広い平野を含むエリアです。櫛田川や宮川といった大きな河川が流れ、フナ類やタナゴ類、ドジョウ類など平野部を代表するような魚類が多く分布します。特徴的なのはこの地域がネコギギやトウカイコガタスジシマドジョウ、トウカイヨシノボリといった東海、中部地方に固有の淡水魚たちの分布の西限、南限となっていることです。東海地方にはかつて東海湖という巨大な湖が数百万年に渡って存在し、これらの固有種、固有亜種はこの東海湖で独自の進化を遂げた後に、東海地方の各水系に取り残されたと考えられています。近年、こうした東海地方に固有の淡水魚の新種記載や集団遺伝構造の研究が進んでおり(Nakajima, 2012; Suzuki et al., 2018; Kawase and Hosoya, 2015; 鈴木ほか,2016)、東海地方の淡水魚類相の独自性が解明されつつありますが、紀伊半島にもその一部がまたがって分布していることは興味深く感じられます。また近年のトピックスとして三重県櫛田川をタイプ産地とする流水性のナマズ属魚類、タニガワナマズ Silurus tomodai が新種記載されました(Hibino and Tabata,2018)。

 

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左からトウカイヨシノボリ、ネコギギ、タニガワナマズ。この地域を代表する魚たち。

次に②の半島北西部の和歌山県紀の川から有田川に至る地域ですが、この地域の魚たちは琵琶湖淀川水系、および瀬戸内海沿岸地域との関係が深いと考えられています。ギギやズナガニゴイ、チュウガタスジシマドジョウ、シマヒレヨシノボリなどの近畿地方における分布の南限がこの地域となっており、和歌山県における純淡水魚の多様性が最も高い地域です。その一方で和歌山県では貴重な平野部がこの地域に集中しているため、県庁所在地である和歌山市を中心に宅地や企業用地、耕作地などへの利用度が高く、開発が進んでいる地域でもあります。河川改修や圃場整備の影響で他の地域では珍しくないアブラボテやチュウガタスジシマドジョウ和歌山県レッドデータブックでは絶滅危惧ⅠA類に指定されており、危機的な状況です(和歌山県編,2012)。和歌山県のこれらの魚は、分布の縁辺に当たる生物地理学的に重要な集団であるため、積極的な保全が求められると言えるでしょう。

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アブラボテ、チュウガタスジシマドジョウ、ズナガニゴイ。アブラボテとチュウガタスジシマドジョウ和歌山県RDBで絶滅危惧IA類に指定される。

③の半島中央部の地域はほとんどが険しい山地で占められ、アマゴ(サツキマス)やタカハヤ、ナガレホトケドジョウといった河川上流域を好む魚のみが分布します。特筆すべきはこの地域に世界最南限のイワナ属魚類であるキリクチ(ヤマトイワナ紀伊半島集団)が生息していることでしょう。キリクチは本州中部太平洋側に分布するヤマトイワナの地域集団とされていますが、ほかのヤマトイワナとは分布域が連続せず、紀伊半島に飛び地的に分布していることが知られています。これはかつて氷河時代氷期)に分布を低緯度地域にまで広げたイワナ間氷期の訪れとともに紀伊半島に取り残されたものであると考えられています(佐藤・山本,2010)。なお、キリクチはかつて和歌山県日高川水系に分布していましたが、1950年代に台風による土砂崩れで生息していた谷が埋まり絶滅したと考えられており(和歌山県編,2012)、現在生息しているのは奈良県熊野川水系の2地域のみとされています(佐藤ほか,2006)。また残された生息地においても放流されたニッコウイワナとの交雑が進み、危機的な状況が続いています。

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アマゴ、ナガレホトケドジョウ、タカハヤ。いずれも河川上流域に生息する魚たち。

最後に④の半島中部から南部の沿岸地域ですが、この地域では半島部特有の流れが急で、短い河川が増え、コイ目やナマズ目魚類といった純淡水魚の種数は少なくなり、相対的に出現する魚種全体に占める両側回遊性の種の割合が高くなります(山下ほか,1997)。またこの地域は黒潮の影響を強く受け、ユゴイ属やオオウナギ、一部のハゼ科魚類といった南方系の種が多く出現します。また近年ではゴシキタメトモハゼ(平嶋・中谷,2006)やコンテリボウズハゼ(中尾・平嶋,2013)など南西諸島以外での出現が稀な種の記録が相次いでおり、今後も従来知られていなかった種が記録される可能性が高い非常にホットかつ面白いエリアと言えるでしょう。

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オオクチユゴイ、オオウナギ、ミナミサルハゼ。いずれも黒潮流域ならではの南方系の魚。

以上が紀伊半島における淡水魚類相の概観です。もちろん種によっては分布に若干の差異が見られたり(例えばオオシマドジョウは瀬戸内海沿岸地域の要素でありながら、紀ノ川、有田川水系を大きく越え、和歌山県南部の富田川水系まで分布する)、すべての分布域に生息している種(例えばカワムツ)もいます。また、人為的な移入によって上記の分布域外に分布を広げている種(例えばギギは和歌山県では在来ですが、本来分布しない三重県の伊勢湾流入河川において生息域が拡大入している)もいるので注意が必要です。

(2022年4月25日更新)

引用文献

Hibino Y., Tabata R. 2018. Description of new catfish, Silurus tomodai (Siluriformis: Siluridae) from central Japan. Zootaxa. 4459. 507–524.

平嶋健太郎・中谷義信.2006.紀伊半島で採集されたタメトモハゼ属の1種.南紀生物.48.47–50.

Kawase S., Hosoya K. 2015. Pseudorasbora pugnax, a new species of minnow from Japan, and redescription of P. pumila (Teleostei: Cyprinidae). Ichthyological Exploration of Freshwaters. 25. 289–298.

Nakajima J. 2012.Taxonomic study of the Cobitis striata complex (Cypriniformes, Cobitidae) in Japan. Zootaxa. 3586. 103–130.

中尾克比古・平嶋健太郎.2013.紀伊半島で採集されたコンテリボウズハゼ南紀生物.54.114–115.

佐藤俊平・山本祥一郎.2010.サケ科魚類の遺伝構造とその成立過程.渡辺勝敏・高橋 洋(編著),淡水魚類地理の自然史【多様性と分化をめぐって】.71–85.p283.北海道大学出版会,札幌.

佐藤拓哉・名越誠・森誠一・渡辺勝敏・鹿野雄一.2002.世界最南限のイワナ個体群“キリクチ“の個体数変動と生息現状.保全生態学的研究.11.13–20.

鈴木美優 ・北西滋 ・淀太我 ・向井貴彦.2016.東海地方におけるヒガイ属魚類の遺伝的集団構造と撹乱.魚類学雑誌.63.107–117.

Suzuki T., Kimura S., Shibukawa. K. 2019. Two new lentic, dwarf species of Rhinogobius Gill, 1859 (Gobiidae) from Japan. Bulletin of the Kanagawa Prefectural Museum, Natural Science. 48. 21–36.

和歌山県編.2012.5 淡水魚類.保全上重要なわかやまの自然-和歌山県レッドデータブック-[2012年改訂版].81–106.p444.和歌山県環境生活部環境政策局環境生活総務課自然環境室.和歌山県

山下剛司・淀太我・岡田誠・廣瀬充・木村清志.1997.三重県熊野地方の河川魚類相.魚類学雑誌.44.107–111.